イントロ:2018年2月18日―Young Soon Min
皆さんこんにちは。天気の良い午後にお越しいただきありがとうございます。私の名前はYoung Soon Minです。ロサンゼルスを拠点にしているアーティストです。本日のイベントのアーティストとパフォーマンスについてご紹介したいところですが、その前にまず、なぜこのグランデールセントラルパークでパフォーマンスが行われることになったのかという背景と、このロケーションがいかにパフォーマンスにとって重要な意味をもつかということについて簡単に説明したいと思います。
初めに、Kim Hyun Jungについて紹介したいと思います。カリフォルニア州韓米フォーラム(KAFC-Korean American Forum of California)という「慰安婦」問題に取り組んでいる団体のエグゼクティブ・ディレクターで、アメリカではPhyllis Kimという名でも知られています。定期的に発信されるニュースレターを通じ情報を伝えてくれることに加え、このグランデールセントラルパークに「慰安婦」像を設置するため、市庁の全面的なサポート獲得を実現させた彼女の多大な尽力や、この記念碑に日本政府の手を触れさせないための継続的な活動に感謝したいと思います。
記念碑は当初2013年西海岸に設置され、「慰安婦」に捧げられました。その後、昨年サンフランシスコにもう一つの記念碑が設置されました。日本政府は、この記念碑が意味する歴史を絶え間なく否定し続け、国内外に存在するすべての記念碑を破壊・撤去しようとしています。
日本政府が否定する歴史は、ここにいらっしゃる皆さんがご存知かと思いますが、日本の公式歴史教科書では体裁よくごまかされている部分は、日本の皮肉な用語で「慰安婦」や「慰安所」と呼ばれているものは、1932~1945年、第二次世界大戦中、日本軍が侵攻したアジアのいたるところに存在しました。日本政府は、戦時中に「慰安婦」が「慰安所」で働いていたということは否定しないものの、「慰安所」の設置が日本政府の正式な軍事作戦の一部ではなく、個人が運営していたものであったという考えや、「慰安婦」は元々娼婦であったという考えを強調しています。実際には、20万人もの少女たちが強制的に性奴隷にされました。そのうちのほとんどが、植民地化された朝鮮の出身者でしたが、中国、フィリピン、インドネシアや他の国々からの者も含まれていました。
補償として、正式な謝罪がないまま日本政府は民間セクターから「慰安婦」のための資金を集めました。これは元「慰安婦」のほとんどの方たちがもがき求めてきたものとは反対のものです。資金だけでなく、明確で正式な政府からの謝罪が重要だということです。この歴史を教育の中で語り続けることもそうです。最近、元「慰安婦」であるハルモニ(韓国語でおばあさん)が亡くなり、韓国で登録されているハルモニは30名になってしまったとPhyllisが教えてくれました。
この歴史に関する私たちの認識と運動は、韓国の元「慰安婦」であるKim Hak-soonと共に始まりました。彼女は、日本軍に「慰安婦」として強制的に連れていかれたと1991年に公に証言しました。この重大な行動が、他の「慰安婦」たちが陰から出るためのドアとなりました。ハルモニと日韓の当初からのさまざまな活動家たちは、この歴史に関する研究や国際的な注目を集めることに貢献してきました。
設置された全ての記念碑の中で、私個人が特に気に入っているものはこの記念碑です。なぜならこれは、ピース・モニュメントと呼ばれる、2011年にソウル初めて設置された記念碑のレプリカだからです。 その記念碑は、ソウルを拠点とする二人組のアーティストによって見事に考え抜かれ作り上げられたもので、非営利団体により資金を提供されました。 この若い少女の銅像は戦略的に、ソウルの日本大使館の目の前に設置されています。そして私たちが今見ている、膝に握りこぶしを置いて隣の席に座っている少女は、静かに且つ何か目的を持ったように、ソウルの日本大使館を見つめています。ソウルのモニュメントはハルモニの権利を主張するために毎週水曜日に行われるデモの場所にもなっています。
それではご紹介いたします:
今日のパフォーマーの一人である日本出身の嶋田美子さんとは、いくどとなく関わりがありました。90年代に、「慰安婦」に関する私たちの作品が同じ出版物に掲載されたり、2002年に第4回Gwangjuビエンナーレで私がキュレートした展示会に彼女の作品を取り入れたりしていました。
アメリカ空軍基地のある東京西部にある立川で生まれ育った美子さんは、60年代戦後の日米間の緊張感に晒されていました。1982年にScripps Collegeで人文学学士を、2015年にロンドンのKingston大学アート・デザイン・建築学部より博士号を取得しています。
よしこさんの探求するテーマの一部として、加害者と被害者両方としての、第二次世界大戦中の女性の文化的記憶と役割というものがあります。例えば、彼女の1992年の“Shooting Lesson”と題された銅版画は、4人の朝鮮人「慰安婦」の肖像画と、現地人からの自己防衛として行われていた射撃訓練に参加する、朝鮮に駐在していた日本軍警察の日本人妻たちの写真が並置されています。
2012年、美子さんは初めて”Becoming a Statue of Japanese Comfort Women” をロンドンの日本大使館の前で行いました。今日ここで彼女はそのパフォーマンスを行います。このプロジェクトは、第二次世界大戦中に日本軍兵や、また戦後に日本を占領した米軍兵に従事した日本人「慰安婦」の歴史に基づいています。彼女たちは日本政府や日本社会によって無視され見えなくされています。戦時中、また戦後における強制的性奴隷の存在を政府が否定していることに加え、日本人女性たちが前に出て自分たちの権利について主張することに対する社会的スティグマが存在し続けています。日本人「慰安婦」の一人である城田すず子さんは、1971年にクリスチャンシェルターによって出版された彼女自身の回顧録の中で、勇敢にも第二次世界大戦中の性奴隷としての自身の経験について書きました。彼女は1993年に亡くなるまでそのシェルターで生活していました。20万人のアジアの「慰安婦」のうち約10%が日本人女性でした。
この作品は、過去の戦争犯罪や制度化された性差別について認めることのできない日本政府の本質を突いています。
その他のパフォーマーは、2015年に日本、韓国、アメリカを拠点とするアーティスト、活動家、研究者で構成されたメンバーによって設立された明日少女隊です。ミレニアルらしく、明日少女隊は彼女たちのアイデンティティや、展示会、パフォーマンス、署名活動、プロテスト、レクチャー、ワークショップなどの活動についての素晴らしいグラフィックや情報の詰まった、ダイナミックでとてもかっこいいウェブサイトを持っています。
明日少女隊は、匿名性のため、それから伝統的な日本の民話では弱くおとなしいとされているウサギの存在を再定義したいとの想いから、ウサギのマスクを着用しています。明日少女隊は、ウサギという動物をむしろエンパワーメントのシンボルにしようとしており、先進国の中でも最も強固な家父長制度がはびこる社会で、フェミニズムやジェンダー平等への意識向上のためのメッセージを発信しています。
彼女たちのホームページにはこのような宣言が書かれています:We can do it!(私たちにならできる!)
明日少女隊は更に、”For equality of all sexualities and genders in East Asia”(東アジアの全てのセクシュアリティとジェンダーの平等のために)と宣言しています。
私たちは第4世代フェミニストです。様々なジェンダーや国籍のメンバーが集まっています。社会派アートグループです。インターネットを通じて活動しています。
私たちは社会的アートプロジェクトを通じて日本と韓国のジェンダー不平等の問題にフォーカスしています。私たちのゴールはすべての男性、女性、LGBTコミュニティーの人々のジェンダー平等を実現することです。
韓国や日本の問題について取り扱ってはいますが、彼女たちの活動が、私たちの現状やここでのMee Tooムーブメントと共鳴していることを彼女たちは認識しています。明日少女隊は新しいパフォーマンスを行う予定です。
本日のパフォーマンスと私たちがここにいるということ全てが、私たちを沈黙させようとしている日本政府の動きに抵抗し続けることの大きな手助けとなりまし。この歴史を語り続けましょう!